講座・ワークショップ詳細
この講座・ワークショップは終了しました。
【事業報告】第72回企画展「実業家・三田義正―盛岡の街と人材をつくる―」
令和7年(2025)は実業家の三田義正(1861~1935)の没後90年にあたることから、明治27年(1894)に義正が創業した現株式会社三田商店所蔵の資料を初めて調査し、その調査成果をもとに第72回企画展「実業家・三田義正―盛岡の街と人材をつくる―」(会期:令和7年11月29日~令和8年2月8日)を開催しました。
盛岡で生まれた三田義正は、明治・大正・昭和初期における岩手県の産業史に多くの足跡を残しています。火薬業で成功した実業家として知られていますが、義正の原点は農業にあります。明治11年(1878)、義正は農学者の津田仙(1837~1908)が東京麻布に創設した学農社が運営する学校で実践的な西洋農法を学びます。郷里に戻って以降は、製糖業や林業、西洋野菜の栽培など様々な事業に取りかかります。本展の導入部分では、義正の家族や学農社での学び、盛岡で従事した産業に関する資料を展示しました。特にも、学農社は運営期間が短かったことから義正のまとまった学農社関係資料は大変貴重な資料といえます。
三田家・学農社関係資料
三田義正編『農具図解』全3巻をはじめとする義正の産業関係資料
明治27年、母キヨの援助により義正は盛岡市加賀野に「三田火薬販売所」(のち三田火薬銃砲店、現株式会社三田商店)を創業します。火薬業へ転身した義正は、岩手や秋田など北東北の主要な鉱山にダイナマイトなどの火薬を納入したことで事業を軌道に乗せました。さらに、北海道や東京など各地に支店を置き、火薬のほか硝子やセメント、石油も扱い事業を拡大させます。義正は火薬業と並行して、農林業・不動産業・牧場経営も個人事業として着手します。昭和4年(1929)に改組した株式会社三田商店の社員へ向けて義正が示した訓辞には、火薬業の歩みやこれまでの困難とともに「穏健ナル方法ニヨリ国家に貢献スル」手段として農林業にも従事したことが触れられています。
鉱山との取引簿をはじめ火薬関係資料 三田義正「訓辞」
ここまで知ると、とにかく多くの事業を手がけた人なのだと感じますが、義正は自身の生まれた盛岡にもしっかりと貢献しています。そのなかでも特筆すべき事業は、盛岡の市街地開発事業と現在の私立岩手中・高等学校を創立したことです。義正が中心となって開発した地域は、現在の市内大通・菜園一帯です。下の図は、北上川に架かる開運橋から大通・菜園周辺までの同じ場所の地図です。左は義正たちの開発後の様子、右は開発する前の様子です。街が大きく変化しているのが分かります。
義正たちが大通・菜園の開発に着手したのは昭和3年(1928)のことです。開発地は旧盛岡藩主家である南部家の所有地でしたが、開発を目的に義正らが譲り受けています。中心市街地の開発を公的事業と認識していた義正は、昭和2年(1927)に南部土地株式会社を設立して事業にあたります。土地の埋め立てから当時としては最先端のアスファルト舗装を施し、景観を重視した街づくりが行われました。
★盛岡市先人記念館第72回企画展「実業家・三田義正―盛岡の街と人材をつくる―」展示資料
企画展関連事業
令和7年12月7日(日)、企画展関連講座として盛岡大学短期大学部幼児教育科助教の丸山ちはや氏を講師にお招きし「義正に届いた手紙~三田文書から見えてくる近代盛岡の姿」と題してご講演いただきました。義正宛の書簡から義正が生きた時代背景や交友関係などを分かりやすくご説明いただきました。
令和8年1月17日(土)、学芸員講座「残された資料からたどる三田義正」(講師:当館主任学芸員 河野聡美)を実施しました。講座では、展示資料の内容を通して三田義正の経歴・業績などを紹介しました。
また、当館企画展示コーナーにて担当学芸員による展示解説を令和7年12月13日(土)と令和8年1月10日(土)、2月1日(日)に実施しました。
企画展を開催するにあたりご協力いただきましたご遺族はじめ関係者の皆さまとご来館いただいた皆さまに改めて感謝申し上げます。
講座・ワークショップ一覧に戻る








