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【事業報告】第70回企画展「在米ジャーナリスト 浅野七之助の軌跡」

令和6年(2024)に浅野七之助が生誕130年を迎えたことを記念して、9月14日から12月1日まで、第70回企画展「在米ジャーナリスト 浅野七之助の軌跡」を開催しました。

1922(大正11)年の浅野七之助

 

■浅野七之助は、1894(明治27)年11月29日、盛岡市新穀町(現在の南大通2丁目)に生まれました。浅野は盛岡商業学校(現在の岩手県立盛岡商業高等学校)を卒業後、当時内務大臣だった原敬の書生として、東京芝にある原邸に寄寓します。書生を3年務めた頃、アメリカに留学したいと考え、原に相談しました。原は「アメリカに行くのもよいが、自由な生活に溺れて自分を忘れるな、役に立つ人間になって帰ってこい」と浅野の背を押しました。浅野は当時勤めていた東京毎夕新聞社の特派員として、1917(大正6)年に渡米しました。

 

■1921(大正10)年11月4日、日本では原敬の暗殺事件が起きました。浅野はサンフランシスコに本社を置く日本語新聞「新世界」で、原の追悼記事を連載し、この記事がきっかけで日本語新聞「日米新聞」を発行する日米新聞社に入社しました。

この頃、日本人移民の多いカリフォルニア州では排日運動が盛んでした。

浅野は原の言葉を思い出し、自分は在米日本人たちのために排日機運と闘おうと、アメリカに留まる決意を固めました。

日米新聞記者時代の写真や、日米新聞社関連の資料

 

■1941(昭和16)年、ハワイ真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争で日米は対立を深め、翌年2月にカリフォルニア州をはじめとした西部沿岸地域では、在米日本人・日系人約11万人は敵性外国人とみなされ、強制立ち退き令によって土地を追われてしまいました。浅野も家族とともにユタ州のトパーズ戦時転住所に収容となりました。

トパーズ戦時転住所は山岳地帯という過酷な自然環境の中に位置し、衣食住の不足など厳しい生活環境でした。その中で浅野は日本語の本を集めた図書館を開設し、人々の精神的な豊かさの向上に努めました。日本語図書館には、日本語に飢えていた日系人一世や帰米二世(アメリカで生まれて日本で育ち、再び渡米した人)が中心に訪れました。

転住所に関する資料として、日本語図書館で貸し出されていた本や、転住所内で発行されたトパーズ新聞を紹介しました。

画家・三上翠湖が書いたトパーズ戦時転住所の風景と、トパーズ新聞

 

■太平洋戦争の終結後、サンフランシスコの日本人たちは、土地所有や帰化権に関する権利を認めるよう州との争いを始めました。これは7年にわたって続けられ1952(昭和27)年の移民法改正で、ついに日本人の帰化権が認められました。

同時期に、浅野は戦後の困難に苦しむ母国を助けるため、日本難民救済会の組織づくりに協力しています。この活動は在米日本人だけではなく、キリスト教会に広がり、アメリカ政府の協力を得て全米での活動へと拡大していきました。この組織は「アジア救済連盟(Licensed Agencies for Relief in Asia)」通称「ララ」と呼ばれています。

民権擁護の活動と難民救済の活動をするにつれ、浅野は報道機関が必要だと感じ始めました。そこで浅野は日米新聞社時代の同僚たちに呼びかけ、1946年5月に日米時事新聞社を創立。社長として再び日本語新聞に携わるようになりました。

展示では、日米時事新聞や、日米時事社で発行した冊子『移民帰化法成立祝賀記念号』、日本難民救済会報告書など、浅野の活動にまつわる資料を紹介しました。

冊子『移民帰化法成立祝賀記念号』(1952年1月1日、日米時事社発行)

 

■浅野は、1950(昭和25)年5月1日、32年ぶりに帰国しました。約3か月の滞在期間には歓迎会や講演会、対談、国内旅行、天皇謁見など非常に多くの予定が詰め込まれました。天皇との謁見では、LARAの活動について直接感謝の言葉を賜っています。

戦後も浅野の拠点はアメリカでしたが、原敬記念館創立の手伝いや、浅野が生まれた南大通周辺の住民組織「寺の下会」の名誉会員になるなど、郷土盛岡とのつながりは深いものでした。

 

1950(昭和25)年の浅野【写真左】、ララ物資の前で両陛下に拝謁する浅野【写真右】

 

■アンケートでは「初めて浅野七之助を知ったが、このような海外で活躍した人物について知ることは励みになる」「トパーズ新聞、図書館 苛酷な状況で心の荒んだ人々に、精神を豊かにする糧を与えた事実から文化の大切さを改めて知りました」などの感想をいただきました。皆様に浅野七之助の軌跡を知っていただく機会となったと思います。

 

 

●企画展関連講座「新渡戸稲造精神の発展」

講師 盛岡仙北町キリスト教会牧師 角谷 晋次 氏

令和6年10月19日(土)

キリスト教クエーカー(フレンド派)と新渡戸稲造の関わりについてお話しいただきました。クエーカーはアジア救済連盟の一員として奉仕活動を行ったキリスト教の一派です。角谷氏はフィラデルフィアにあるフレンズセンターでの研修や東京での礼拝に参加なさったことがあり、その時のようすも語っていただきました。普段触れる機会の少ないクエーカーについて、その一端を学ぶ機会となりました。

 

●学芸員講座「浅野七之助とアメリカ」

講師 当館学芸員 坂本 志野

令和6年11月16日(土)

浅野の生涯と、大正・昭和時代のアメリカと日系人の関係について、収容所内の写真や日本語新聞の記事を使って紹介しました。

 

 

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