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記念室の紹介

米内光正記念室この記念室では、盛岡の出身で、海軍大臣・内閣総理大臣を務め、日独伊三国軍事同盟に反対し、軍服の平和論者と言われた米内光政の足跡と業績を、次に掲げる三つの項目に分類して紹介しています。

記念室平面図

米内光政記念室の平面図です。図の上の各コーナーの名称をクリックすると、それらの画像と簡単な説明を見ることができます。

記念室平面図

米内をめぐる人々 海軍時代の米内光政

海軍時代の米内光政

海軍時代の米内光政米内は深く海軍を愛し、その職務に精励しました。米内の海軍生活は広島の海軍兵学校で始まりました。第一次世界大戦のときにはロシアに、戦後には東ヨーロッパに駐在し、その革命の実態を研究します。将官に進んでからは中国方面警備につき、中国問題に通暁しています。ここでは米内の海軍時代に関する資料・写真を展示しています。

米内をめぐる人々

米内をめぐる人々米内は非常に無口で温和な性格でしたが、大きな度量と細やかな優しさで人を引きつける魅力の持ち主でした。そのため交友範囲は広く、穏健派軍人の中心的存在であり、政界・財界・学界のそれぞれの人物たちと交流がありました。ここでは米内の広い交友関係に関する資料・写真を展示しています。

遺品・遺墨

遺品・遺墨米内の目は日本の現状、海外の様子を正確に見据え、その態度は常に毅然としていました。このため天皇・皇后両陛下は、米内に強い信頼をおいていました。私生活においては書をよくし、海を愛した米内らしく滄海と号しています。ここでは昭和天皇から下賜された硯箱や、米内が日常使っていた書の道具などを展示しています。