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記念室の様子

新渡戸稲造記念室の様子新渡戸稲造記念室では、盛岡の出身であり、その生涯を『太平洋の架け橋』になろうと国際交流につくした新渡戸稲造の足跡とその業績を、次に掲げる七つの項目に分類して紹介しています。

記念室平面図

新渡戸稲造記念室の平面図です。図の上の各コーナーの名称をクリックすると、それらの画像と簡単な説明へジャンプします。

記念室平面図

武士道の心 私人としての新渡戸稲造 公人としての新渡戸稲造 遺品・遺墨 国際人として 教育者として 米国留学時代とキリスト教

国際人として

国際人として国際人・新渡戸稲造としての活動は、英文による著作や新聞雑誌への投稿、日米交換教授としての講演や国際連盟事務次長としての働きなどがあります。ここでは新渡戸の海外における活躍に関する資料・写真を展示しています。

教育者として

教育者として農学博士・法学博士として大学で教鞭をとる新渡戸は、同時に、単なる学者としてではなく、悩み苦しみながらも高い理想を目指して努力することができる人格を持った「人間」の育成を目標とした教育者でもありました。性別や貧富による教育の機会不平等に反対し、そのため様々な学校の設立・運営にも関わっています。ここでは教育に関する資料・写真を展示しています。

留学時代とキリスト教

留学時代とキリスト教新渡戸の向学心は札幌農学校卒業後も止まず、その目は海外に向けられました。また幼いころから広く西洋の文化に触れた新渡戸は、その根本を成すキリスト教への信仰にも強く惹かれます。ここでは札幌農学校時代に受けたキリスト教の洗礼、その後の欧米留学に関する資料・写真を展示しています。

武士道の心

武士道の心近代日本を理解するには、過去から続くその根を知る必要があります。新渡戸は自分の中に培われていたその根を『武士道』として著しています。また彼はその著作を通し、東西の思想を比較、分かりやすく解説することで、人々の心をより深く結ぼうとしました。ここでは新渡戸の著作に関する資料・写真を『武士道』を中心として展示しています。

私人として

私人として新渡戸家は代々南部家に仕える盛岡藩士の家柄でした。勘定奉行を務めた祖父伝や父十次郎は、開拓事業の功労者として知られています。ここではそのほか、新渡戸を「武士の子」として強く育てた母せきや、良きパートナーであった妻メリーなど、私人としての新渡戸に関する資料・写真を展示しています。

公人として

公人として新渡戸稲造は広く世界で活躍し、それぞれの場所で多くの友人・知人を得ました。彼が目指した架け橋としての生き方は、人種や性別を越えて、多くの人々の間をつないだと言えます。ここでは、後藤新平や内村鑑三、アインシュタインやキュリー夫人など彼の友人・知人に関する資料・写真を展示しています。

遺品・遺墨

遺品・遺墨新渡戸はユーモアに溢れ、一緒にいる人を喜ばせることを好みました。また非常に器用でもあり、自分自身で様々なものを作っています。ここでは新渡戸の書や彼自身で作成した双六などを展示しています。